リハビリ

首のリハビリと並行しての歯の治療の地獄

今思えば、息子は死んでいてもおかしくない状態でした。仙台でのリハビリ生活がとてもつらい記憶としてよみがえります。息子がバイクに乗っていて転倒したと警察から連絡が入ったのは5年前の深夜のこと。バイクの免許をとって間もない頃でした。

アルバイトの帰りに車と接触しそうになり、それを避けようとしてハンドルを横に切って転倒。
ガードレールに頭から突っ込んで、首の骨が折れていたそうです。
それを聞いた時、死んだんだと思いました。夫と病院に向かいながら動揺する頭の中で考えていたのは、死んだ息子の身元確認、それだけでした。

ですが、病院についてみれば、手術室に入りながらもなんとか生きているということで、体中の力が抜けて立ち上がることもできませんでした。初めて『脱力』という感覚を味わいました。後にも先にもそれ一度っきりです。

長い時間待たされて、やっと手術室から出て来た息子の姿に愕然としました。
頭に大きな球状のゲージのようなものをつけられていて、球状の真上からバンドや器具で首をつり上げている感じでした。

医者の説明によると、背中からまっすぐ通っている脊椎の損傷が酷くて自力では頭を支えることができないので器具で頭を支えているとのこと。幸い神経には傷はつかなかったので、麻痺などの後遺症は出ないが、骨がくっつくまでは時間がかかると言われました。

それでも命があっただけ奇跡だと思い、息子の様子を見守りました。
最初は点滴のみの栄養補給でしたが、半年もすると、おかゆ程度のやわらかいものが食べられるようになり、それからリハビリの話が医者から聞かされました。

今まで頭を支えるために首を器具やバンドでまっすぐに引っ張っていたため、今度は首を動かす練習をしなければならない。それと転倒した時に歯のほとんどを損傷していたのでそちらの治療も進めなければいけない。どちらを先にしますか、と問われて息子に相談すると、「首は時間がかかると思う。それより、食べられるようになりたい」ということだったので、歯の治療を優先させることにしました。おかゆばかりでなく歯ごたえのあるものが食べたい、噛みたい、それは若い息子には切実な思いだったのです。

ですが、それはとても辛いものでした。
球状の器具が外されて普通のベッドに寝かされました。筋が伸び切り曲がらない首はそれだけで負担がかかるようでした。
少し首を傾けるだけでも痛がり、歯科の椅子に長時間寝ても座ってもいられない。仕方なく首のリハビリと並行して行うことになりましたが、どちらにしても見るのも辛いほど泣き叫んでしました。

長いリハビリと治療の末、首は不自由ながらも動かせるようになり、歯もインプラントと入れ歯で食事ができるようになりました。
自分の息子だけに気を取られていましたが、リハビリ室は息子と同じように苦しみに耐えている人ばかりでした。
生かされたことはありがたいですが、こんなに苦しむならあの時いっそのこと・・・と思われたご家族も多かったのではと、今もふと考える時があります。